取り調べ室には妙な緊張感が漂っていた。
坂本は未だ口を噤み続ける目の前の少年を観察した。まだ幼さの残る顔立ちに、しかし成長期においてしっかりと角ばり始めた肩や手が妙に不釣り合いで不思議だと感じる。
その成長途中の手が、足が、身体が、同級生の少女を惨殺し―――ましてや、生きたまま首を切り離すなど―――想像した途端、背筋に何か冷たいものがぬるりと奔り額から一筋汗が垂れた。生温かい感覚はまるで自分のものではないようで、それが自分の皮膚から滑り落ちたものだと気付いたのは簡素なデスクにポタリと一滴こぼした後だった。
事件発覚から逮捕まで然程手間も時間もかからなかった。
計画的な犯行にも関わらず、杜撰で気の抜けた作業からすぐに少年が犯人だと特定されたのだ。
逮捕時、こくりと頷いて犯行を認めた少年だったが、一切の供述を拒否し、犯行時の状況を語らない。
頑なな態度はいたずらをしたのに意地を張って認めない小さな小さな子供のようにも見えるし、テストで難解な応用問題を突き付けられて思考を遮られた受験生のようにも見え、ただ何の魂も与えられず虚空を見つめる人形のようでもあった。
少年と少女の間にあったのは同じ学級のクラスメートであったというただその一点だけであった。
担任教師、他のクラスメートや友人、双方の家族、皆二人の関係には首を捻るばかり。
日記や携帯電話を確認しても連絡先はおろか、名前も出ていなかった。
逮捕当初、交際関係のこじれが突発的な殺人に繋がったのではないかという見方もあったがそうした理由からすぐに撤回となってしまったのだった。
当の本人の口から語らせるほか、術がない。
組んでいた腕を一旦外して身を乗り出し、渇いた唇を半ば無意識的に舐めたあと、坂本は改めて少年を問い詰める。
少女と何があったのか、何故殺したのか、もしかして冤罪なのではないのか。
既にマスコミたちが騒いでいる。様々な憶測が飛び交いすぎている。真実を語らせねばならない。
「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか」
「…」
「口がきけない訳では、ないのだろう」
「………そうですね」
はっとした。思わず目を見開いてしまった。
すうっと透き通るような空気交じりの声は儚く、それでいて人の鼓膜をしっかりと震わす――華奢、という表現がしっくりとくるまるで女性のような声だった。
「僕が彼女を殺したことに間違いは御座いません」
「じゃあ、なんで殺した。君には殺す理由がないはずだ」
デスクの中心辺りをぼうっと見つめていた瞳がゆるゆると坂本に合わせられる。少し茶色い、濁りのない綺麗な瞳だった。
「そこに彼女がいたからです」
少年は語る。
「人というのは醜い存在だ。僕は自分自身を穢れの塊だと言い張れる。まわりもそうだ、世界は醜さの塊です。しかしそこに一点の穢れだけを残し、他は潔癖を保つ、イレギュラーが現れた。繊細で透明で聡明なものですよ。
僕には彼女が眩しかった。こんな彼女はこの汚い汚い世界で生きていけない、学校で穢れを知って旅立たねばならないと感じるとともに、その美しさを維持してほしいという葛藤。鬩ぎ合い。僕の頭は彼女の存在ばかりに使うようになりました」
するりするりと紡がれていく言葉は坂本の耳に入り、しかし脳で理解するのには毎回少しの時間を要した。だが一度口を開いた少年は他者の介入を許さない。
「幾らか前の夜のこと、僕は偶然にも彼女と出会いました。公園の電灯に照らされた彼女は昼間と違う美しさを持っていた。僕は衝動に駆られました。そして彼女も、僕にすべてを求めたのです。
――その晩から僕たちは何度かセックスをするようになりました。彼女の純潔を僕の醜さで汚していくという興奮。僕だけの純白。僕だけの不浄。僕というイチモツを知っても表面上の彼女の煌びやかでいて大人しい、清楚な空気は変わらなかった。それが僕を余計に惹きつけた」
「それと同時に腹がたつのです。いいようのない、彼女に対する破壊衝動です。壊したいのです。彼女は僕を学校で避けていました。僕も避けていました。僕と彼女の間にあるのは夜の、蜂蜜のようにどろりとしたものだけです。それが疎ましく、しかしどうすることもできなかった。
彼女は僕を愛してくれていました。僕は彼女を寵愛していたわけではありません。天使のような彼女の美しさに、目も眩むほどの美しさに、心は奪われど愛を知ることにはなりませんでした。存在というものに恍惚とした印象を受けたのです。ただそれだけなのです。
かくして僕は彼女を汚そうと思いました。その表面上の美しさも剥奪しようと試みました。毎夜激しくなっていくそれに耐えきれないと考えたのです。でも彼女は屈強だった。僕を愛し、美しかった。汚さねばならない穢さねばならないだから僕は」
僕は、彼女の首を切り取ったのです。
ふ、と一息ついた少年の肩が緩む。
坂本もいつの間にか止めていた息を吐きだした。
蛍光灯の灯りがチリチリと瞬いている気がした。
「……、彼女は、笑っています」
そして、泣いています、と。
少年はまたも視線を落として呟いた。
確かに発見された生首は涙の痕があった。頬の筋肉はつり上がり気味だった、とも聞いた。そして目は開いていた。
生きたまま首に当てられたノコギリを拒もうともせず少女は笑い、泣き、ただ自分の喉が裂かれていく壮絶な痛みに耐えながら、愛する少年の顔を見つめ死んだのだ。
愛した先に何かあると、少女は信じていたのだろうか。少年の、歪んだ熱情に気付かなかった筈はなかっただろうに。
坂本は思わず頭を抱えたが、すぐにそのまま手を下に滑らせて膝に置いた。
他にも、まだまだ沢山聞くことがある。
ただ、今すぐに、一つ聞きたいことがあるのだ。
「彼女の、ただ一つの穢れって、なんだったんだ」
美しく、真っ直ぐに、汚れていった少女の、元からあった一つの穢れ。
「僕を初めから愛していたことです」
そして、前を向いた少年は表情一つ動かさず、ぽろぽろと泣いていた。
そこにいたのは弱弱しく寂しげな、高校一年生の、15歳の少年だった。
後の捜査で少女にストーカー癖があり、中学の頃から少年に付きまとっていたとわかった。
少年はそれを知っていて、少女と関係を結んだのだ。
思うに少年にとってストーカー行為は世間一般で思われているような恐怖の対象ではなかったのだろう。
歪な二人の、二人なりの終わらせ方だった。
そして鑑定からは、生首に付着していた涙の痕は二人分であったと、聞かされた。
2011'06'06