私は生まれてこのかた、愛してるなどという恥ずかしい言葉を大真面目に使っている人を現実世界で見たことも聞いたこともない。
漫画や歌なんかで多用されるその言葉は世間一般に最も馴染みがあり、最も遠いのだと思う。
外国では日常で使用しているイメージがあるが少なくともこの日本という国では使う者などいないだろう。
もしいたとしたらそれは余程のロマンチストか羞恥心を失ってしまった奴だと考える。
真顔でそれを言われればまず日本人は相手の頭を疑うだろう。
そのことをわかっているから私たちは絶対に口にしたりはしないのだ。
もっとも、そんなに易々と出していい言葉でないということもあるのだけれど。
愛情を文字にして表すのは大変度胸のいることなのである。
友情、尊敬、恋心、庇護対象、全てを超越してこそ意味があるものだからこそ。
だからこそ、人は言葉にもしない。
私はこう考えていたのだが、ある人物が一度、それは違うのだと言ってきたことがある。
たった一度のことだ。川辺を歩いていたときのことだった。
そいつは仲がいいとか悪いとかそういう問題以前に、全くの初対面であった。
道に沿ってふらふらと歩いているそいつに話しかけたのは完全に気まぐれだったと思う。
「こんにちは、珍しいですね、こんな時間に」
「なに、そちらこそ」
こんなんだった気がする。
もしかしたらもっと無愛想でつまらなかったかもしれない。
とにもかくにも話を始めた私たちは取り留めのなさすぎる世間話や自分らの考え方を語った。
お互い相手の話をいちいち真剣に聞いていたのかどうかも疑わしい。
ただ印象に残っていたのはその、愛についてということだった。
先程言っていたようなことを私はただ、なんとなく口にしたのだと思う。
そしたらそいつは言ったのだ。
愛なんてカタチとして存在しないのだ、と。
理屈的になってはいけないのだ、と言った。
そしてそれを口に出さねば伝わるわけない、とも。
嗚呼成程。とそのとき思った。
私は深く深く考えていたがそいつは単純に物事を考えている。根本的に合わないのだと。
半ば席を立とうかとしたのだが、思いがけずそいつは努めて情熱的に語り始めたので立とうにも立てない。
要するにそいつは少しでもプラスな想いを抱けばそれは既に愛なのだと言う。
かなり理解しかねる内容であったが、そのときは適当に頷いて帰った。
それから数日後にまた会い、そのまた数週間後に会い、数ヵ月後にはピタリと会わなくなった。
結局そいつと顔を合わせたのは三回だけで、長々と会話を交わしたのは一度きりとなる。
とにかく愛だとか恋だとか中学生のようなことを延々と気兼ねなく語り合える仲はすごく新鮮であった。
私の性格や考え方を今更ながらに変化させる出来事だったことには違いない。
ポケットからライターを取り出し、手で風を遮りながら火に煙草を持っていく。
思ったよりも点きにくくて苦戦したが、一度点いてしまえば後は楽である。
ゆっくりと口から離して川を見た。
変に青緑色をしたそれはあまり良い印象を持たず冬の寒さを一層増す気さえしたが、眺めているのに苦ではなかった。
だらしなく灰を水に落としてもう一度口に付ける。
溜息を吐きつつあいつをもう一度思い出して煙草を短くすることを進めた。
もしもあいつが言うように少しでもプラスな感情を抱いたことによって愛が芽生えるのであれば世界は愛で満ち溢れているだろう。
あまりにも夢想的な考えに苦笑が漏れる。
あいつの考えが通るのであれば世の中はもっと上手に回る筈だし、私は今でも独り身なんかじゃない。
それでも参考にするならば。
くさい台詞も言ってしまおう。頭が可笑しいと言われても言おう。
「愛してる」
思わず頬が嫌な感じに緩んだ。
嗚呼嫌だ。恥ずかしい。
乱暴に吸いがらを地面に叩きつけて踏み躙る。
だいぶ冷えた手をジャンパーのポケットに突っ込んで踵を返した。
敬愛なる名前も知らないあいつに告げよう。
愛してる。
2009'10'22