甘い、甘い。
溶けてしまいそうなくらい、甘かった。
ぎゅう、と背中から抱きしめられたので、まわされた腕に思い切り爪をたててやったら不満げな声。それでも放してくれない。
ケーキをオーブンに入れた途端これだ。まあ、予想はしていたのだけれど。
腰に腕をまわして肩に額を置く。彼の髪が首筋にあたって少しくすぐったい。
外は晴れ。カーテンを全開にして電気を消す。これが私たちの昼間の過ごし方。
薄暗い部屋にオーブンの熱と、焼く音が広がる。
もう一度腕を外そうと引っ張ってみても頑固として動かなかった。なんだこいつ。
いつものことなのだけれど。
「放せ」
「嫌」
即答。明瞭すぎる答え。
今まで何十回と繰り返されているこの行為とやり取りに私は溜息をつく。
彼の行動は私にくっ付いたり、すり寄ったりするばかり。
まるで僕は君を愛していますよ、と主張するかのよう。
それが私にはたまらなく気に入らないのだ。
恋人という枠組みの中で廃れていく一つの形。
大きくなっていく別の形。
それは無限に広がるみたいで、気味が悪くて大嫌いだ。
「ほんともう、放し、て!」
勢いをつけてやっと彼の腕から解放されることに成功する。
くるりと彼の顔を真正面から睨みつけてやれば、呆れたような、寂しいような表情。
なんだよ、それ。
「沙耶子はいつまで経っても俺を見てくれないね」
しゅんと項垂れて、さらりとしたチョコレート色の髪が彼の顔を隠す。
端正な顔立ちが黒い影に隠れる様を見たくなくて、私はぎゅっと目を瞑った。
別に嫌いなわけじゃない。
別れたいとも思わない。
けれど愛し合いたいとも思わない。
彼が何を求めていて、私が何を求めているのかが、わからなかった。
「好きだよ」
「知ってる」
「愛してる」
「黙れ」
大学の友人。それが一か月前までの彼と私。
いつも通りに過ごしていければよかった。
酒を呑んで笑いあったり、映画を見て泣きあったり、講義のわからなかったところを教え合ったり。
それは友人でなければできなかったことだったのだろうか。
恋人になれば、もうあんなに気軽で楽しく過ごすことはできないのだろうか。
頭をなでないでほしい。抱き締めないでほしい。キスをしないでほしい。
だけど好き。
時間ばかりが過ぎていく。
「…ケーキ、焦げそうなんだけど」
少しだけ焦げた匂いがオーブンからする。
「――うん」
きっと私は甘いものなんて、嫌いだ。
2011'03'17