「映画、見に行こうか。」
部屋のど真ん中で偉そうに寝っ転がりながら、漫画を読み続ける部屋の主である同い年の男に話しかける。
なんとなく言ってみただけの言葉で、自分自身そんな真剣に問うたつもりはなかった。
だから聞かれた本人も真面目なリアクションはとってくれなかった。
漫画に目を向けたまま無表情な顔を崩さず、「んー」と曖昧に呟いてページを捲る。
私もまた無表情な顔をそのままに、視線を空中に漂わせて、制服のスカートが捲れ上がるのも気にせず膝を折り曲げた。
自分の少し長い髪の毛が床に乱れて腕に当たる。
再び沈黙に包まれた部屋にはカチコチと時計の音が響いていた。
パタン、という音と共に私は瞼を開く。
部活で疲れていたから、少しだけ眠たかった。
「映画、見たいの?」
さっきまで漫画に向けられていた筈の瞳はしっかりと私を見つめていた。
私はというと、眠くてぼんやりする頭が機能していなくて、まだ視点が定まらないままだ。
一瞬、いきなり"映画"なんて単語を出されて戸惑う。
はて、何をこいつはいきなり言いだすのだろう、と思ったが、先ほど私が何気なく呟いた言葉への返答だということに気づくまで数秒かかった。
寝転がる私を見下ろすように見つめて、私の口が開くのを待っている気配がある。
正直言って大して見たくもない。
だってなんとなく言ってみただけだったから。
なにより、さっき私が誘ったときにちゃんとした返答をくれていたら私だって少し乗り気になるのだけれど、もう十数分は経っている。
瞼が重くなるくらいに完全なるだらだらモードへと、私の意識は飛んでいた。
だから正直に「そんなに」と言うと相手も「そう」と言って、またしても私たちの会話は途切れた。
毎回こんなんだからたまにわからなくなるけど、一応私とこの男は恋人同士である筈なのだ。
なんとなく抱き合って、キスして、セックスしたことが始まりなのだけれど。
もともと幼馴染というか、腐れ縁だったせいかそんな意識は薄かった。
だからたまにはちょっと恋人っぽいことを言ってやろうか、なんて思いつきを呟いただけであって。
別段素っ気無い会話に寂しい、などと感じることも無かった。
ぼうっとした頭で、そんなことを考えてると自然と瞼がおりてくる。
最近ずっと部活ばかりで脳も体も疲れていた。すぐに意識が遠くなっていく。
ふ、と閉じた瞼から透かされる光が暗くなり、唇に暖かいものがあたる。
うっすらと目を開けると恋人が覆いかぶさるようにして自分にキスしていることを理解した。
そういえば前テレビか何かで男の一番間抜けな顔はキスしているときの顔、なんて言っていたのを思い出した。
けど自分の恋人はこんなに間近で見てもそんなに間抜けには見えないし、どちらかというと格好良いほうなのではと思って再び目を閉じる。
目を閉じて数秒経ったころに唇は離れ、けれど覆いかぶさったままの体は離れようとはしなかった。
無表情に私を見下ろし、見つめ、私も無表情に相手を見上げ、見つめていた。
眠気は唇から出て行ってしまったらしい。
それから何度も唇を重ね、歯裏や上あごを舌で這われ、また私も応える。
自分の鼻から甘いようなくすぐったいような声が何度も抜けたのがわかってなんとなく恥ずかしい。
その続きは、ないのだけれど。
これもいつものことだった。
一回目にしたとき以来私たちにそういった繋がりはない。
一応学生だからね、と苦笑した彼に微笑で返した私はそのとき何を思っていたのだろうか。
少なくとも残念だなんてこれっぽっちも思わなかっただろう。
そのあとに「したい?」って聞かれても「別に」と応えたことは覚えているから。
だから、捲れ上がったスカートに手が滑り込んできて思わず飛び起きてしまったのも仕方あるまい。
くつろいだ雰囲気は何処かに吹っ飛び、自分にしては珍しく瞳孔をかなり丸くして目の前の男を見つめた。
なんなんだ、どうしたんだ。自分も、この男も。
ていうか、今思い返せばあれほどまでに吃驚するような出来事でもない気がする。
数十秒前の自分に何故か偉く呆れて深い溜息をついた。
くすくすと可笑しそうに笑う声が鬱陶しい。
「何、欲求不満?」
「思春期ですから。」
「迷惑なことで。」
変に否定もせず、まだ喉の奥で笑うようにして恋人であるそいつは私をちらりと一瞥した。
一瞬、その瞳に軽く傷ついたような色がみえたのは何故だろう。
だって私たちは恋人同士ではあるが、いちゃいちゃする間柄ではないわけで。いや、しても可笑しくないんだけど、しなかったはずで。
じり、と近寄ってくる相手から逃げようにも、所詮マンションの一室にある5畳半あるかないかの部屋。
すぐにとん、と壁にぶつかって逃げ場をなくす。
なんとなく不穏で、不安で、至近距離にある顔を思わず上目遣いで見上げた。
またしてもくす、と奇麗な形の唇に弧を描いて右手を頬に寄せてきた。
ゆっくりと細められた目を見ながらなんとなくえろいなあ、とか親父的思考を隠せずにはいられない。
「やっぱり映画、みようか、明日。休みでしょ。」
帰宅部であるこいつに私の部活の休みを把握されていることに無性に苛つくが今回は素直に頷くとしよう。
2009'08'14