短編

感情表現が苦手な私の話


「……なに泣いてんだよ」

問われた声は律儀にも私の鼓膜を震わせた。
ああ、聞きとれなくてもいいのに。
どうせなら鼓膜なんぞ破れてしまっても構わない。
そう思いながらわざと緩慢な動きで毛布を頭まで被せる。
もともと顔の半分を覆っていたそれは頭まですっぽり被ることによって
瞼の裏からでも光を遮断してくれた。
ゆるやかに呼吸をすると、閉ざされた世界でだんだん酸素が薄まっていく感覚に
息苦しさを感じつつ、それでも少し離れた場所から顔を覗かせる男に知られまいと顔を更に覆う。

「…泣いてない…眠い、だけ……」

できるだけ自然に聞こえるようわざとらしささえ感じる呂律で言うと
しばらくの静寂のあと、シャッとカーテンが閉まる音がした。
彼は出て行っただろうか。それともこちらに入ってきたのだろうか。
毛布に包まれた世界では人の気配を察知することに酷く苦手になる。
頭を出して確認してしまえば早い話なのだが、後者の場合とても面倒だ。
ここで自分が泣きそうになっていることがバレたらなんのために寝たフリをしていると言うのだろう。
誰にも感情を見られたくないし晒す気もないのに。






「貴方は感情を隠すのが上手すぎます」

上品な仕草で彼女はカップをソーサーに置いた。
同時に伏せられていた瞳は上げられ私を見据える。
その目には鋭い光が入っていてどうにも逃げられそうにない。
はぁ、と溜息を吐き、さらに続ける。

「貴方だってわかっているのでしょう。そんなんじゃ誰も理解などしてくれません。
言わずとも相手がわかるなど作品の中だけの代物…現実じゃ有り得ません」

普段散々小説やドラマを見まくる癖にこういうときだけはやけに現実的だ。
妙に説得力があるな、と思う。というか、事実を告げられたから当たり前なのだけれど。
誰にでも敬語を決め込む彼女の言葉はいつだって真実で構成されている。
そして何にも遮られない瞳はすべてを見据えているのだ。
前に思ったことをそのまま言ったら
「そんなわけないでしょう。私は人間です。エスパーではないのですよ」
と一蹴にされてしまったのだけれど。
恐らく彼女は他人を観察して分析することに長けているのだろう。
それが長年の仲である私とあれば尚更。
もっとも、私は未だに彼女に関して分らないことだらけなのだが。
彼女の言い分は今回も的を得ていた。
甘えるな、とも言いたいのだろう。
彼女と親友と言っても過言ではない私はいつも彼女のその気持ちを汲み取る能力に助けられているから。

「それでも」

それでも、と思う。
私は感情を誰にも知られるわけにはいかないのだ。

「…はぁ…まったく」

彼女には、気づかれているのだろうが。






そんな風な会話を交わしたのが確か半年ほど前だった気がする。
そのあとくだらない話で締めくくられた彼女との会話はあまり気持ちのいいものではなかった。
我ながら呆れる頑固さである。今度謝っておこう。
今更謝ったって意味などあるのかわからないけれど。
たぶん、自意識過剰でなければ彼女は自分のために言ってくれているのだ。
だったらそれは有難くて申し訳ない事態だから。
いっそのこと今電話でもして謝ってしまおうかと頭と手を出したときだった。

「やっと出てきた」

傍らにしゃがむ男の存在に気が付けなかったのは不覚であり、不意打ちだ。
完全に忘れていたのだ。こいつのことを。
携帯を取ろうと伸ばした手はそのまま真っ白いシーツの上に落ち、頭は枕へと沈める。
ただし、目線は男に合わせたまま。
完全に目が合ってしまった今、もう一度毛布に入りこむわけにもいかなかった。
頭を出したらやけに耳につく時計の音が煩わしい。

「お前ほんとに何考えてるかわかんねえけどさぁ…」

ふ、と頭に置かれる手は想像していたものよりも大きくて目を見開く。
瞬間泣きそうだ、とも思えた。
ゆっくりと手を移動させて耳を防いだ。
聞きたくない。聞いてしまえばきっと駄目になってしまう、無駄になってしまう。
嗚呼、鼓膜など、破れてしまえばいいと。



「俺のこと好きだろ」



わかるよ、と。
少しくぐもって聞こえる声が。
手で塞いでも貫いてくるその声が恨めしい。
意味のなかった私の手。遮断を許さない私の耳。よく通る彼の声。






彼女は昔から他人の想いを汲み取ることが得意だった。
私は昔から自分の気持ちを隠すことが得意だった。






涙は頬を伝って布に染みた。
ぼろぼろぼろぼろ。みっともないくらい止め処なく溢れるそれは濃い染みを作って消える。
頭を撫でる手を振り払ってしまいたい。それくらい、むかつく。
見上げた顔はぼやけてしまっていて。
もう何もわからなくなって、目を閉じた。



2009'08'18
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