短編

死にたがりくんと生きたがりちゃん


目を閉じれば簡単に出会える暗闇を見つめていると、すぐ隣で音がした。
紙を破るような乾いた音に続き、さらさらと砂が落ちるような音。外からは聞き慣れたクリスマスソングが小さく聞こえていた。
重い瞼をゆるゆると持ち上げて首を回すと、相も変わらず少女が自分の隣に座っている。
いつものように薄く開き、何も映さない瞳を床に向け、足はぐったりと伸ばされている。まるで壊れた人形のようだ。
その手には千々に破られた薬包紙。茶色と黄色の混ざった粉薬は少女の目線の先――床へと積っていた。
かれこれ一週間分になる。薬の山は本来の役目を果たせておらず、医師も大変だなぁと思った。が、関係なさすぎてどうでもいい。
この部屋には薬以外にもゴミや脱ぎ散らかした服なんかが山を成していて、山脈でも作るつもりなのだろうかと部屋主に問いたくなる。まぁ、僕だけど。

僕の視線に気づいたのか、少女がちらりと瞳をこちらに向けた。
伸び放題の髪の隙間から覗く目が僕を見て、やがては僕の手を捕えた。


「…痛そう」


さらりと僕の左手を撫でる。
未だ熱を持って血を流し、フォークが突き刺さったままのそれは、少女の細長くて力無い指が掠っただけでも激しい痛みが奔った。
反射でぴくりと指が痙攣したけれど、それ以上の反応はない。
似たようなやり取りはこれで何回目だろう…と思考をめぐらせてみたけれど、面倒臭くなって放棄した。
この左手のフォークの他にも、頬にある傷や足に突き刺さったナイフ、脇腹を縦一直線に裂いたカッターの数くらいは、少なくともあるんじゃないだろうか。
その度、横にいる少女は律儀にも僕を心配してくれるのだ。僕が自分でやっていることなのに。
一度、他人を心配するよりも自分を心配してみてはどうだろうかと提案したら、ハサミで腕の肉を数センチ程ざっくり切られた。自分を自分以外の人に傷つけられたことがなかったから、正直、驚いた。
それから少女はごめんなさいと言って、僕も少女に口出しするのをやめたのだ。


「僕が代わってやれたら、いいのにね」


何気ない一言。その一言には同情もないし、ましてや心底この子を可哀想だと思って言っているわけでもない。
だが嘘ではなかった。僕は本当に、この子と代わってやれたらいいのにと、そう思って発言した。
自分の本心だ。自分勝手な、僕の願望。

彼女は目をまんまるく見開き、みるみるその大きな瞳に涙を溜める。
人形のようだった顔は歪み、気付けば僕は飛びかかられていた。
まるでスローモーションのように見えるその光景。馬乗りになって全然力の入らない拳でどんどんと僕の胸を叩く彼女は、まるでそこにいないみたいに、軽かった。
僕の灰色のシャツが、脇腹の傷口が開いたことによってじんわりと赤く染まる。
押し倒されたとき足に刺さっていたナイフが更に奥へと押し込まれて、激痛が襲った。

でも僕にはそんなことはどうでもいい。
目の前にいる少女の泣き顔に、僕は釘付けになってしまった。

ぼろぼろと涙を落とし続ける彼女の頬を、手の甲で撫でる。
さっきよりも寄せられた眉根。細められた瞳。
それは彼女が生きている証拠なのだ。
薬も飲まずにただこの部屋で生き続ける彼女の人間らしい姿を見たのは、これが初めてだった。


「どうして…そういうこと言うの…」

「だって君、もうすぐ死ぬじゃないか」


瞬間、乾いた音が部屋に響く。
頬が熱くなる。嗚呼、殴られたのかと理解した。
僕を殴ったあと耳に入るのは、彼女の荒い息遣いと時計の音。
やけに時計の音が響いて聞こえていた。
彼女は涙を拭おうともせずに泣き続ける。しゃくりをあげて、ただ泣いていた。
僕は上半身をなんとか起こして正面から彼女を見据える。
足のほうから不穏な音がしたが気にしないでおこう。

どれくらいだっただろう。鈴の鳴るような独特の声は、しっかりと響いて。
独り言のように彼女は呟く。

「わたし、生きたいよ。…生きたいの」


生きたい。 生きたい。
繰り返される言葉。
それは当たり前のことで、欲で、無理なことだった。
小さな口から紡がれる言葉は当たり前の言葉。
やがて言葉は紡ぐことさえできなくなり、咳へと変わった。
口元にあてた手にはべっとりと血がついていた。もう、時間は少ないのだろう。


「…そう」
 

僕はそれ以上何も言えなくて、言う気もなかった。
僕と彼女の決定的に違うその願望が苛立ちと共に心地よさを与える。
彼女が死ぬまで、僕らはあと何日一緒に過ごせるだろう。


「メリークリスマス。遅れたけど、プレゼントは僕の心臓をあげようか?」


くすくす。ずびずび。
笑う僕と泣く君。どこまで行っても平行線。
こくりと頷いた彼女に多少驚きつつも、ペティナイフを取るために少し体をあげてテーブルの上へと手を伸ばした。
色々なものが置かれて何が何だかわからなかったので、適当に全てを床にぶちまける。
混ざって落ちてきたナイフを取ろうと手を伸ばすと、さっと横から盗まれた。


「ちょうだい」


泣きそうな顔は、口元だけを歪ませていた。
歪んだ口の端から血が滴っていて、昔見たホラー映画を思い出す。
カバーもつけていない刃をまっすぐこちらに向けて構えた。
そのとき、ふと目についた、床に転がっているそれ。
さっき一緒にテーブルから落ちたのであろうそれは数字を映し出して、僕と彼女に現実を押しつける。
よそ見している僕を怪訝に思ったのか、彼女も同じものを見て、ペティナイフを落とした。


「ははっ、クリスマス終わっちゃったよ」


デジタル時計に映し出された00:01と12/26の文字。
僕らの言い訳は消え去った。



2010'12'24
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