昨日の夜、友達が塾帰りに死んだ。
交通事故だった。地面が凍ってて、タイヤがスリップして歩道に突っ込んだらしい。
別に運転手が悪いわけじゃあない。友達が悪かったわけでもない。
たぶん、誰も悪くないけれど、人間というものは醜いもので、他人に何かと罪を押しつけたがるのだ。
例えばそれは自分の子供が死んだ理由。例えばそれは自分が犯してしまったことへの罪悪感。
運転手が悪くないことはみんな知っていたし、理解していた。
当然友達の母親だって痛いくらいにわかっているのだろうけど、それでも運転手を責めてしまうのだ。
運転手のおじさんは恐らく三十代後半から四十代半ばほどの年齢で、人の良さそうな顔を涙と悔しさでぐちゃぐちゃにして謝っている。
嗚呼、こうして人は可笑しくなっていくんだな、と思った。
葬儀が終わってもなお、友達の母は責めることをやめようとはしなかった。
運転手も謝ることをやめようとはしなかった。
周りも自分も、止めようとしなかった。できなかった。
そんなのを尻目に私は目の前の同級生に目が行く。
さっきまでわんわん泣いていたそいつは私の視線に気がつくと近づいてきて苦笑する。
私はこいつが、苦手だ。
「貴女、泣かないのね。」
「私だって友達が死んで悲しまない程、心は荒んでないわ。」
人を見下したような、軽蔑したような目を私に向ける。
いつもそうだ。
感情に流されることが人の温かさだと思っているこいつは感情表現が苦手な私を影でずっと睨んでる。
私はこいつが、嫌いだ。
「どうせあの子のことも特別友達だなんて思っていなかったんでしょう。そうよね。貴女、そういう人だもんね。
一緒に行動していたのは自分が一人にならないため、でしょう。」
「…わかったような口を利かないでよ。」
他人のすべてがわかります、みたいなそんな態度。
こいつはクラスでも学年でも人気者で、人気の理由は感情的なところで。
私と正反対で明るくて人見知りのしない中心人物で。
私がこいつを嫌いなのは、逆恨みだって、自分でわかってるのだ。
私にとっての親友は昨日死んだあの子で、
あの子にとっての親友は今、目の前にいるこいつだった。
そしてこいつにとっての親友は”自分を好いてくれるみんな”なわけで。
あの子が私と共に行動してくれていたのは、単にこいつが一緒にいてくれないから。
だけど仲良くしてくれたから、それでもいいと思っていたしこれからもそのつもりだった。
けれど、死んでしまった。
誰が悪いって、わけじゃない。
劇的に大雨が降っているわけでもなく、私がこいつに殴りかかるわけでもなく。
俯いてただ泣くことしかできなかった。
はじめてだった。人が死んで、それが悲しくて泣くのは、はじめてだった。
何年ぶりかに、目の前のこいつみたいにわんわん泣いて、感情に流されてしまう。
悔しいと思う。つらいと感じる。寂しいと叫ぶ。
友達の母の怒声と、運転手の謝っている声が遠く感じた。
がやがやとした周りの騒音は変わることなどなく、
泣いてる人なんて私のほかにいくらでもいるから私が特別目立つことも無い。
だからうずくまって、思い切り泣いた。
制服のスカートに何粒も水滴が落ちて、染みる。
誰も悪くないのに、それでも人は何かを他人に押し付ける。
例えばそれは自分の子供が死んだ理由。例えばそれは自分が犯してしまったことへの罪悪感。
例えばそれは、友達が自分を最期まで”みてくれなかった”ことへの苛立ち。
嫉妬。欲。情。怒り。
嗚呼、こうして人は壊れていくんだな、と思った。
2009'07'20