短編

吾輩は


吾輩は――はて、何だったかな。
名前は、あったはずなのだけれど。



桜は自身の花弁を自慢でもするかのように舞い落し、時に風に吹かれ、時に雨にその身を攫われながら、今日という日までを生きてきた。
しかし、明日にはもういなくなるという。
大きなこの桜の木は、そこに公園をつくるという言い訳をした人間どもにぶった切られるらしい。
この街に残る唯一の歴史と自然として目の前の大木は来る日も来る日も私たちを見守ってきたというのに。
一週間もすれば根っこも引き抜かれてここら一帯草木のなくて砂の入れ替えられた、冷たい地面になってしまうのだろう。
そこは猫や犬や小鳥や子供たちの憩いの場として設けられるのだろう。
ブランコがあり、滑り台があり、シーソーがあり、鉄棒があり、砂場があり。
親たちが談笑しながら我が子を見守るためのベンチもあるのだろう。
お弁当を広げたりもするのだろうか。
母親の注意に適当な返事をした子供がずっこけて叱られるようなこともあるのだろうか。
この街は気候が良いから、きっと公園は賑わうだろう。


ざあっと風が吹いた。
桜は枝を揺らし、それでも幹はしっかりと構えていて。
これからもずっと、何年も何年も立つことができただろうに。

町は変わってしまった。
町から街へと変わってしまった。
人々はそれを喜び、笑った。
暖かい気候は街に人を呼び、人が街を創ったのだ。
橋を架け、ビルを建て、家を造り、道路をはしらせる。
夏にはコンクリートが動物たちの素足を焼き付けた。
そんな、街になった。





「こんにちは」

返事はない。

「あなたのお名前は?」

ありふれた名前だった。

「もうすぐ夏ですね」

梅雨があるよと笑われた。

「ああ、去年は雨宿りをさせてくれてありがとう」

返事はない。

「あれ、私は何だったかな」

君は――

「貴方も、」




さて、何を失くしたのやら。



2011'02'17
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